様々な意思決定の支援をお仕事としている者が書いたブログです。お仕事やプライベートを通じて、気のついたこと、ハッとしたこと等を書き留めています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、自分の好きなことに夢中になれることは本当にうらやましい限りです。今の小泉内閣の文部科学大臣である小坂憲次さんは、「人間が成長する源は好奇心だ」と指摘しています。彼は、機械や理科が好きで時計やラジオなどを分解して好奇心を満たさずにはいられない性格で、電気製品の修理が得意だったので“電気屋さん”と呼ばれていたようです。小坂さんのように、自分の好きなものが何かを見出せ、それに関係のあるお仕事に就くことはこの上ない幸せですね。彼は、若者がもっと好奇心をもって物事を見てほしいと願っているんでしょう。私もこの部分には本当に同感です。
ところが、一方で彼は、この小泉内閣メルマガジンで、以下のようなコメントをしています。
////////////////////////////////
私は、常々、全員が同じことを一律に学ぶことが、絶対に必要不可欠なのだろうかと疑問に思っています。勉強が得意な優等生ばかりをたくさん育てても仕方がありません。能力の違いは目指す目標の差であって、人生の価値とは無関係です。
////////////////////////////////

彼は、好奇心を持たせるためには、一律な教育が必要でないといっています。一見、ごもっともと思ってしまいがちですが、私は、はたしてこの考えが正しいだろうか?と疑問に思いました。なぜなら、現代の若者は、そもそも何に好奇心を持てばいいのか分からない人が多いからです。無関心、やる気がないなど、新規創造性の欠ける人があまりに多いこと。小坂さんは、真の問題点を分かってないと思いました。好奇心をもって、得意な分野を伸ばすための教育をすれば、問題が解決されると勘違いしています。

今、多くの企業が求めている人材は、彼が言っている人材ではありません。もっと厳しいです。一律的な教育を受けた上で、その中で教育に問題点を抱く人材が必要なのです。今までのやり方を常に更新・革新できる人、そんな人が欲しいのです。最初から社会規範を無視し、自由に育ってきた人は、一部の職種を除いて通用しません。また、その問題意識は、急に育ちません。最初は、型を覚え、真似ることから始め、その形に違和感をもってからどんどん姿を変えていく。そのプロセスが重要なのです。

大半の人は、一律的な教育を経ることが大切だと思うのです。このプロセスが必要でない人もたまにいますが、そういった人は私学で特別教育を受ければいいのです。他にいい場所があるはず。公立の教育機関が行う教育は、最初は普遍的論理を叩き込み、そこでの教育を鵜呑みにさせずに問題意識を芽生えさせる種を植え付けてこそ真の教育だと思います。

文部科学大臣の一言で、方向性を間違えてしまわないためにも、志ある官僚さんに頑張って欲しいものです。

【2005/12/10 00:36】 | 組織行動
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。